斎藤環『戦闘美少女の精神分析』

戦闘美少女の精神分析 (ちくま文庫)
戦闘美少女の精神分析 (ちくま文庫)

ナウシカセーラームーン綾波レイ…。最近ではプリキュアとか舞-HiMEですが、なぜアニメで「戦う女の子」は支持されるのか。この疑問への完全な解答が示されているとは言い難いけど、オタク文化を語る契機となった重要な1冊である事に変わりはない。

戦う女の子=戦闘美少女はなぜ戦うのか。実は多くの戦闘美少女は、特に理由もなく戦っている。例えば復讐などではなく、ある日突然そうなってしまう(あるいは最初から)。戦わざるを得ない背景とか動機、必然的な理由などはない。プリキュアが「私たちが変身?ぶっちゃけありえな~い」と言っているように。理由もなく戦う、という現実には絶対あり得ない設定によって徹底的に排除された日常性。これは逆にコミックやアニメなどの虚構世界では逆説的なリアリティを発生させる。動機のない戦闘美少女にとっては、戦うことだけが唯一の存在理由だ。

現実の女性への恋愛の場合は「可視的な表層(セクシュアリティ)」から「不可視的な本質(リアリティ)」へ向かう。戦闘美少女に萌える場合は「戦闘行為(リアリティ)への魅了」から「可視的な表層(セクシュアリティ)」へ向かう。

ヒステリーの症状が虚構空間、すなわち視覚的に媒介された空間的に鏡像的に反転したもの、それがファリック・ガールズの戦闘行為だ。
アニメという虚構世界の中で、セクシュアリティを利用して現実を確認する行為。虚構で満たされた現実の中ではなく、現実以上にリアルな虚構の世界で現実を確認する行為。いわゆる「現実」にリアリティが感じられないのはポストモダンの特徴ですが、その穴を埋めるために日本で特異に発達した文化の一つが「戦闘美少女」らしい。

そのためか、オタクはロリな絵に萌える事はあっても、現実の少女に興味を示す事はほとんどない。オタクは性的に倒錯している、という誤解を解いた点でも評価したい。二次元世界にしか興味を持てないのも十分に欠陥だが(©春日部咲@げんしけん)。

太田出版、2000年)

『戦闘美少女の精神分析』をめぐる網状書評(hirokiazuma.com)
斎藤環:網状言論Fレジュメ(TINAMIX)