入社時
- 入社時は漫画を読んだことがなかった
- 少年ジャンプの存在を知らない
- 内定時に集英社から漫画が大量に届いたが、読まずにちり紙交換に出していた
少年ジャンプ創刊(1968年)
- 少年ジャンプはマガジン、サンデーより9年遅れで創刊
- 当時マガジン、サンデーは100万部超、ジャンプは10.5万部
- 当初は漫画家に連載を依頼し、一旦OKを貰えたが全て断られた
- 無名の雑誌で失敗すると名前に傷がつく、と吹き込まれた
- 新人漫画家を起用し3大方針で進めることに
- 新人漫画家の新連載
- 漫画家と編集者 二人三脚で作品作り
- 読者アンケート応募ハガキ
- 読者の面白いと思う作品と自分が面白いと思う作品は真逆だった
漫画の文法
- いろいろ漫画を読むと「面白い漫画=読みやすい漫画」であることに気がついた
- 漫画の文法があると分かった
鳥山明との出会い
Dr.スランプ(1980年)
キャプテン翼(1981年)
- 初めてサッカーボールにカメラが入った視点で描かれた作品
- それまでのサッカー漫画とはスピード感が違い、子供たちもリアルに感じる
Dr.スランプの終了(1984年)
- 連載開始から2〜3ヶ月で「やめたい」(鳥山さん)
- ギャグ漫画なのは入選賞金50万円で「ストーリー漫画31P、ギャグ漫画15P」だったから
- ギャグ漫画の場合、直しを入れるとほぼ全修正になる場合がある
- 単行本が売れているのでやめられるわけはない
- 「Dr.スランプより面白い漫画が描けたらやめていい」と言われる
DRAGON BALL(1984年)
ヒットするまで
手抜き
- 鳥山さんは手抜きも上手く、例えば街の中で戦ったことはない(背景描かなくて良いため)
- (髪の)ベタも面倒になったのでスーパーサイヤ人を考えた
鳥山さん「悟空を大きくしたい」
- 編集者としてはキャラ変更はあり得ない
- 鳥山さん「悟空は3〜4頭身だが、戦っている時は5〜6頭身に伸ばしている」
- 戦いをスケールアップするには今の頭身では無理
- 嫌なら連載やめます、ということで承諾
桂正和
- 最初の出会いは16歳の頃
- 絵が上手い、女の子を描くのが上手い、コマ割りが大胆、最初から上手くできていた
- 鳥嶋さんが唯一、高卒時に親の所に行って「漫画家にさせてほしい」とお願いした
- 鳥山さんみたいに脱サラなら気が楽だが、彼の場合は人生を預かってしまった
- 連載が人気だけではダメで、コミック単行本が売れてようやく安心できる
- 最初の印税でウィングマンのヘルメットを作り、印税はこれに消えた(車一台分)
ONE PIECE(1997年)
- 尾田さんはキャラ作りも上手いし、話を描きたくてしょうがない
- 筆が走ってどんどん先に行くが、一つ弊害があるのは「読みにくい」
- 描きたいものが多くて詰め込んでしまうため
- 編集部内では賛否両論だったが、ここまで議論して意見が分かれるのは芽があるという判断に
- 結果、新人の新連載で1位
漫画のメリット
- アニメ、ゲームよりコストが安いので失敗ができる
- 新しいものを作って試せるということ
- アニメ、ゲームは失敗できないので角が取れた丸いものになってしまう
- 「進撃の巨人」は漫画じゃないと出てこない作品だと思った(※ジャンプ作品ではありません)