東浩紀『動物化するポストモダン』

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)
動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

現代文化批評の古典とも言えるこの本。昔読んだような気もしますが改めて読んでみました。3年前の本だけど未だに色褪せてないような気がします。

副題は「オタクから見た日本社会」。なぜオタクはオタクなのか、という事が非常に分かりやすく濃い密度でまとめられています。分かりやすさ重視の新書でこれほど凝縮された本は珍しい。しかも、日頃難しい言葉でしか語らない著者とは思えないほどの徹底した分かりやすさ。現代思想の入門書としても最適です。題材はアレですが。

現実の世界を支える「大きな物語」を失ってしまった現代人は、虚構の世界への小さな感情移入こそリアル、と感じてしまう。世の中や大人が提示した現実に価値や根拠が感じられない場合、ある人は心の隙間を埋めるために虚構の世界へ、ある人は即物的に、またある人は別の大きな物語を求めサティアンに修行へ。もちろん、そういう宗教に走ってしまう人(=架空の物語を背景に反社会的行動を起こしてしまう人々)は'95年を境に激減したと思われるので、今は小さな物語を求める人がほとんどです。高邁な理想などなくても泣ける話があれば良い、という低め安定まったり指向。

彼らの文化消費が、大きな物語による意味づけではなく、データベースから抽出された(萌え)要素の組み合わせを中心として動いていることが挙げられる。

感情的な満足を効率良く満たしてくれる萌え要素の方程式を次々に求めて。永遠に満たされる事のない欲望に基づく消費行動、このオタクの行動原理を著者はコジェーヴ(ロシアの哲学者)の言葉を踏まえ「動物化」と呼んでいます。まあ確かに自分の好きな作品、キャラに関連する本やグッズはどれだけあっても十分とは言えません。それでも集め続けてしまうのがオタクの悲しい性なんでしょうか。_| ̄|○

「だからオタクはグッズを買い漁るのか、だからオタク相手の商売は儲かるのか」と言われたらそれまでかもしれませんが、本当に売れているものは「単なる要素の組み合わせ」以上の何かがあるような気もします。そう信じたいのは自分がこちら側の人間だからかもしれませんが。

で、オタクは欲望に踊らされる可哀想な人たちねえ…と思うのも自由ですが(否定できませんが)、重要なのは「オタク」はあくまでも現代文化の一つの側面に過ぎないこと。オタク、いわゆるアキバ系とは対極にありそうなストリート系(渋谷系?)の人々も表面的には違うようで、即物的な欲求に基づく行動様式は十分に「動物的」と言えます。両者は表裏一体…ではないかもしれませんが、空虚な世界を示す2つの極端な例だと思います。アニメ「げんしけん」第2話ではアキバで同人誌を買い漁る笹原(オタク)と、原宿で服を買い漁る咲(非オタ)が対照的に描かれていますが、ある意味ベクトルが違うだけでやっている事は同じ、それを象徴的に描いたシーンとも言えます。

つまり「動物化」しているのは一部のオタクだけではなく、多かれ少なかれ私たち現代人の全てと言えるのでは。もちろん、下手に大きな物語を求めて混乱を招く事もありませんが…。動物化が良いのかどうかも分からないし、それを考える事すら意味があるのかどうか分からない。今の自分にできる事は、目の前にある小さな物語の中にわずかでも意味がある(と思う)ものを見つけることなのかも。それがもし存在するのであれば、の話ですが…。

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