Key「AIR」

AIR ベスト版

The 1000th summer ━━━━ 彼らには過酷な日々を。そして僕らには始まりを。

劇場版はちょっと…ですが、TV版のクオリティの高さに衝撃を受け、原作をプレイして更に衝撃を受けました。シナリオ、音楽ともここまでの深みに達した作品はないのでは、と思うほど。オタク哲学者(?)の東浩紀氏が『美少女ゲームの臨界点』で執拗にこの作品を語る理由も分かります。 見た目はどう見てもその辺のギャルゲーだし、ヒロインは「にはは」と笑い、困った時の口癖が「がお…」。これが萌えキャラでなくて何なのか、泣きゲーとして絶賛されてるのも一部のヲタが感情移入してるだけではないのか? と思うのも無理はない。しかし話が進むにつれ、そんな事はごく表面的な部分でしかなく言わば「ギャルゲーの皮を被った純文学作品」と思えてきます。AIR萌え要素は無いし、18禁的な描写はむしろ邪魔です。個人的には同人誌さえ必要ないくらい(批評、考察なら何冊あっても足りないと思います)。

特異なのはまずゲーム性。シナリオは「DREAM」「SUMMER」「AIR」の3部構成ですが、実はこのゲーム、ほとんど選択肢がない。DREAM編ではいくつかの選択肢で3人のヒロインのエンディング(orバッドエンド)に分岐しますが、SUMMER編は何と選択肢0(見てるだけ)、AIR編も実質的に選択肢は1つしかない。あとはSUMMER編同様、見てるだけ。て言うかほとんどゲームとは呼べない。プレイヤーは目の前で起こる出来事に介入できず、ただ見守る事しかできない。 SUMMER編では1000年前の出来事を眺め、AIR編はDREAM編での観鈴(みすず)シナリオを第三者的な視点から眺めます。全編を通して描かれるのは「家族とは何か」ということ、家族に限らず「人間の絆とは何か」ということではないかと。少なくとも恋愛中心ではない所が他のギャルゲーとは一線を画しています。既にギャルゲーですらないかもしれませんが。

それでも単なる家族愛ものならここまではヒットしなかったかもしれない。AIRのもう一つのテーマ、ベースになっているのは「そら」「海」に象徴される「無限」です。空の高さや海の広さ、1000年という時間のスケール。自分たちは実はとても広大な空間(と時間)の中で生きており、一歩踏み出しさえすれば無限とも思える高みへと飛翔する事ができる。その広さ、深さを感じられるからこそ、ゲームとしての面白みは皆無にも関わらずここまで支持されるのでは。そして、もし時間や空間を超えるものがあるとすればそれは「愛」なのかなと思います。 keyという鍵盤が奏でる「AIR」という旋律。それはその辺の映画や小説よりもずっと深く美しいと思います。機会があれば原作のゲームや、原作以上の出来かもしれないTV版に触れてみて下さい。涙を流すと同時に、理屈ではない何かを感じられるはず。

AIR - Switch

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